紙漉き教室開催

職人仕事は出職と居職に分かれます。建築現場など現場合わせが必要な職人仕事は出職です。和紙作りはどこにも移動できない正に居職の典型です。それを敢えて出職の仕事にしました、どこにでも伺い和紙・紙漉き教室開催致します。

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我が家の娘はチェルノブイリ事故の年、そう86年に生まれました。


あの頃は我が家も青春を謳歌する体制で生活していました。
ただバブルという恩恵には一度も遭遇することなく
「目の前を現金がターボかけて走る抜けている」とよく言ってたものです。
とんとん拍子に店を持つことが出来たことで店名はスパゲッティーと紅茶の専門店「とんとん」。
お客様の8割が音楽大学の学生さん。長い夏休みは長い夏休みを取り・・・・いや、過去の自慢はどうでも


チェルノブイリ事故は直ぐに話題になるわけでなくあとから努力して知った事実です。



現在のインターネット情報の様なものは無かった時代。情報のそばに行かない限り知ることのできない事柄が続きました。
食材卸の業者さんにイタリアからの輸入スパゲティーの放射線量の数値を出すようにお願いしたのは当たり前の事かと思っていた。「ひげさんパスタを扱う200軒のお店の内2軒だけですよ」皆さんあまり気にしていないようだった。
メーカーが出した数字は日本の安全基準の数字の中に入っていた。
が、安全とは? 生まれたばかりの娘に無条件で食べさせことが出来る数字ではないと思った。
その後の自問自答して導き出した答えは


「閉店」


娘に食わすことに躊躇するのにお客さんに出していいのか? お客さんの8割が女性それも結婚前の女性ばかりの来店客に私の料理が出せるか?
被害者になるのは甘んじて受けよう、チェルノブイリ周辺の人たちは餓死を選ばず汚染されたものを食べ続けて生き延びていることの事実に直面してから私たちが食べるものは私たちが選べばいいのだから。
しかしながら加害者側に回るのはやめよう。そんな簡単な理由で店を閉めました。
「まだ間に合うなら」そんな本を回し読みした記憶があります。過激な行動はしませんでしたが消極的な拒否を続ける生活になりました。
無農薬の食材グループとの付き合いが生まれた。積極的なかかわりでは無かったが買うという行為で応援を続けました。
結果的にですが、並行して江原土秋師との出会いもあり、和紙を作る世界に身を置くことになるよう仕向けられていたのかもしれません。



ある年にお米が足りない騒動が持ち上がりました。
我が家が購入していた減農薬米も買占めのターゲットになりました。有機農業を支援している店頭からお米が消えました。
スーパーに行き売れ残りのタイ米を買ってカレーやピラフで過ごすこともありました。
その時に巷のコメの値段を見てびっくりしました。私たちは倍以上の値段のコメを買っていたのです。その価格が正規と思っていたので何ら違和感なくその金額を払い続けていたのですが。(別にお大尽であるわけでなく「疎い」のかも?)
安全に暮らすとはお金のかかることだと改めて実感したタイ米騒動でした。


我が家のジンクス? 購入する機械が当り外れの「外れ」てばかりいるので、いつの間にかオーディオセットもありません。
最近の出来事で言うとテレビが壊れました。6,7年前? 暫くはパソコンでテレビ番組を見ることが出来ましたが、パソコンも「外れ」だったらしく我が家からテレビを見る習慣は無くなりました。
それでも充分情報は得られます。偏った情報かもしれませんが、何ら不足はありません。今回の未曾有の震災の映像をライブで見ることはありませんでした。
ずーとFMラジオからの情報です。「ラジオビタミン」という番組の中で被災地からの声に「いつもの村上さんの声が聞けて涙が出てきた」とのコメントに私もブログを休まなくて良かったと思った。実際被災地からブログを読んでると連絡を貰って励ましになっていたのが分かるとうれしかった。
「私でも光になれる」を実感した瞬間だ。



我が家の節電には限界があります。
たとえばエアコンはありません。消費電力をこれ以上下げることが出来ない生活だと思っています。
電気の炬燵・カーペットはありません。湯沸かし卓上ポットはありません。衣類乾燥機なんてもってのほかです。
ある時留守中の待機電力に腹を立て全部ひっこ抜いてしまいました。
タイマーが使えない程度なんで何ら不便は無いです。差し込めば使えます。

エアコンのない生活は長いです。50年を超えています。そうです我が家にエアコンは存在しません。
いや待てよオイラの独身時代の一時期あったな。夜勤仕事を短期間選んだ時(その間に運転免許を取った)、暑くて寝られずに買って取り付けたことを覚えているな
1か月の給料の半分ほどの金額だったので簡単に取り付けてしまった。安易な時代だった。一夏使って誰かにあげてしまった。ん~~確かケーキ屋さんの作業場にあげたような記憶がある。






そして今だから力強く言えます。



「原発NO!!」


無くても暮らせると思う。












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テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2011/04/01(金) 01:09:26|
  2. 想い
  3. | コメント:0
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