FC2ブログ

紙漉き教室開催

職人仕事は出職と居職に分かれます。建築現場など現場合わせが必要な職人仕事は出職です。和紙作りはどこにも移動できない正に居職の典型です。それを敢えて出職の仕事にしました、どこにでも伺い和紙・紙漉き教室開催致します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

中学校検定教科書   相沢忠洋氏の業績記述から教科書を選ぶ



社会科(それも歴史)にエントリーした教科書会社は以下7社。 アイウエオ順

育鵬社      中学社会 新しい日本の歴史
教育出版     中学 歴史
清水書院     新中学校 歴史 日本の歴史と世界
自由社      中学社会 新しい歴史教科書
帝国書院     社会科 中学生の歴史
東京書籍     新しい社会 歴史
日本文教出版 中学社会 歴史的分野




(7社以外に歴史教科書を執筆している会社があるのかは分かりません。
この7社が選ばれた理由も分かりません。私の立場で言えるのは
我が市の図書館に期間限定で置かれていました。)教科書発行の55者


子どもたちが使う教科書を選定。私の基準でチェック。
基準は歴史教科書掲載の記述。それも2点のみ。で○か×を出します。
それは乱暴ですと言われそうだが、入り口部分の記述で全体をつかむのは
あながち間違っていないと思う。
ですから、いくら「公民」の記述がよくても、いくら「地理」がよくても
まして「歴史」そのものの記述がよくても私の基準を優先します。
第1点の記述の検証をします。表題の「相沢忠洋氏の業績記述から教科書を選ぶ」の実践です。


御一緒に考えて頂ければ幸いです。


育鵬社  中学社会 新しい日本の歴史
岩宿遺跡(群馬県)
から発見された打
製石器(実物大)
この遺跡の発見に
よって、日本列島       写真
に旧石器時代から
人々が住んでいた
ことが明らかにな
った。(相沢忠洋記念館蔵)



教育出版 中学 歴史


   写真

長さ7cm
槍先形の打製石器(左:群馬県出土 
相沢忠洋記念館蔵)



清水書院 新中学校 歴史 日本の歴史と世界
考古学好きな青年が発見した岩宿遺跡
かつて日本には「旧石器時代はない」といわれ
ていました。それは火山灰のたい積した関東ロー
ム層の存在から、火山活動の活発であったころの
日本には、人が住めなかったのではないかと考え
る学者が多かったからです。しかし1946年に
群馬県岩宿の関東ローム層のなかから、行商の職
業とする青年相沢忠洋によって見つけられた石器
が、その定説をくずしました。
考古学に興味をもっていた彼
は、ねばり強くこの付近の地
層からも採集をすすめ、この
謎をとこうと考古学者に相談    写真
しました。1949年には本格
的な大学の調査がおこなわ
れ、日本の旧石器時代研究の
幕が開かれたのです。
------------------------------------------------------------------
相沢忠洋が発見した旧石器
[長さ約7cm、実物大。相沢
忠洋記念館蔵]




自由社 中学社会 新しい歴史教科書
日本にもあった    人々は集団の知恵を発揮して獲物
旧石器時代      を湿地帯に追いこみ、石のかけらで
できた鋭い刃先を槍の先端に取りつけた道具でしとめた。
長野県の野尻湖からはナウマン象の牙やオオツノジカの
角が道具とともに発見された。北海道ではマンモスの化
石が見つかった。
 このように打製石器(旧石器)を使って狩猟や採集を
して暮らした時代を世界の考古学者たちは、旧石器時代
とよんでいる。今から60年前までは、日本には旧石器
時代はなかったと考えられていた。
通説を変えたのは相沢忠洋による岩宿遺跡の発見だった。

石製石器
1949年に群馬県の岩宿遺跡から
発見されたもの。全長10cm        写真
槍の先に取りつけ、獲物にとどめを
さした。(群馬県、相沢忠洋記念館蔵)

P28P29の見開きを使い相沢忠洋氏を紹介。



帝国書院 社会科 中学生の歴史
さあ、いよいよ歴史の旅の始まりです。
いつごろから文明が生まれ日本の国家や
社会のしくみが整えられていったのか、中
国や朝鮮半島とどのようなかかわりがあっ
たのか、に気をつけながら、歴史        上半身
を学んでいきましょう。       仁藤先生  イラスト
               
  写真

明治大学1946年
発掘のようす




東京書籍 新しい社会 歴史
        岩宿遺跡(群馬県)から発
        見された打製石器(実物大)
        1946(昭和21)年に相
  写真   沢忠洋が岩宿遺跡を発見
        し、その後の発掘で、日
        本列島にも旧石器時代
        があったことが明らか
        になりました。  
        (群馬県・相沢忠洋記念館蔵)




日本文教出版 中学社会 歴史的分野
P18
猿人は、手を使って道具をつくり、手ごろな
石を打ち割って打製石器をつくり
はじめました。

P26
岩宿で発見された打製石器     
(約7cm群馬県相沢忠洋記念    写真
館蔵)黒曜石でつくられた槍先
形の石器です。


------------------------------------------------------------


6社が掲載した石器写真は相沢忠洋記念館が所蔵している「昭和24年7月発見された槍先形尖頭器・大きさは約7cm」です。

写真掲載の6社の中の1社[自由社]は見開き2ページに渡って相沢忠洋さんの業績を書き込んでいます。
相沢忠洋に対する教科書の記述を全面的に変える画期的な内容です。この教科書は2年前に
館長の相沢千恵子さんから頂いています。千恵子さんの教科書の記述を変える地道な努力が実った結果です。
努力すれば報われると言う典型です。認められるまで長い道のりでした。
感謝すべき内容なのですが、「槍先形尖頭器」の大きさを10センチとしています。単純な寸法ミスと思います。
ここを訂正すれば完璧なんですが・・・・・。


1社[帝国書院]は明治大学が発掘したとしています。
このような記述を歴史教科書の最初の説明として使っているのはその後の展開も
少し違っているのではないかと推測してしまいます。早めに改定したほうがよいと思います。

1社[清水書院]は相沢氏の相談によって
「1949年には本格的な大学の調査がおこなわれ、日本の旧石器時代研究の幕が開かれたのです。」
と、明治大学の名前はないのですがキチンと両方の記述があり、公平だと思います。



と言うことで、一つの視点から見ただけで教科書を選べば[帝国書院]は
私の個人見解で使ってはいけません。×です。沢山の方々の執筆があって成り立っている
教科書であるというのはよく分かっています。
それでもただ一人の数行の記述で全て胡散臭く感じてしまうのも事実です。
一冊しか中学生の手元にこない教科書であれば吟味したいのも親心です。

育鵬は○ 教育出版は○ 清水書院は◎ 自由社は◎だけど寸法間違いは少々マイナス。
帝国書院はX 東京書籍は◎ 日本文教出版は○









ある方の紹介で私は紙漉き教室を相沢忠洋記念館でこれまでに5回開催しています。
「もの作りは石器時代も古代も現代も同じです」と言う相沢館長の後押しで続けています。
恩返しは正しく相沢忠洋さんの業績を評価していただける記述のある教科書を選ぶことだと思っています。


相沢忠洋氏の業績を知らない方の為に少し説明を・・・
教科書に引用されている昭和24年7月の発見を受けての記事


インターネット相沢忠洋記念館から引用
-------------------------------
岩宿発見の報道
 昭和24年9月20日付け毎日新聞東京版には二段抜きの見出しに
「旧石器の握槌 群馬県で発見 十万年前と推定」と発表されました。
そして、本文は以下のとおりでした。

「このほど明大考古学研究室によって、原始人の手で作られた旧石器が発見された。
現場は群馬県桐生市外笠懸村字岩宿にある岩宿小丘といい、去る四日地元アマチュア
考古学者がここで集めた石削のなかに珍しい形のものがあるのを同教室の杉原助教授
が発見、十日から三日間現地試掘をしたところ関東ローム層の下部から旧石器時代特
有の形をした横刃型、尖刃型石器十数個をはじめ粘板岩製グトボアン(握槌形石器)も
発見したもの。これと同時に出土地点が関東ローム層の下部であるという事実を確認
するため東大地質学助教授多田文男氏が十五日現地を再発掘しその地点を確認、遺物
包含層を岩宿地層と命名し、その編年学的古さを研究することとなった」(後略)

つまり相沢さんの功績は埋もれてしまったのでした。しかし相沢さんは自分の功績が
埋もれてしまったにも関わらず、「岩宿の発見」の「あとがきに代えて」の中に新聞
に発表された事の喜びを書いています。同じ「あとがきに代えて」の中に「思えば私
は人間嫌悪を長く心の奥底に秘めて今日まできた」とも書いているのは、この時の相
沢さんの気持ちの現れだったのかもしれません
--------------------------------------------------------------------
以上、引用終わり


現在、群馬県岩宿遺跡・出土資料は重要文化財に指定され岩宿博物館としてみどり市が運営しています。
一方、写真で紹介されている相沢忠洋記念館所蔵の槍先形尖頭器はなんら指定は無く
個人所蔵ゆえ、一銭の補助金もなく維持管理も個人にゆだねられています。
私は重要文化財以上の国宝指定だと思いますが・・・・・。


文化財のあり方を今一度見つめ直すチャンスです。
心ある方の出現を待ちます。


私? 私は一介の紙漉き職人ですので、見守ることしかできません(悪しからずね)。







スポンサーサイト

テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2011/08/06(土) 20:18:29|
  2. 調査
  3. | コメント:0
<<中学校検定教科書   国名記述のスタンスから教科書を選ぶ        | ホーム | HP   ブログ  リンク集 8>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。